永源遙の死因は?暴力団とも関係?経歴やプロフィール!

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2016年11月28日、元プロレスラーの永源遙(えいげん はるか)さんが死去した事を、同じくプロレスラーのグレート小鹿さんが、自身の公式ブログで報告しました。

40年近くプロレスラーとして活躍してきた永源遙さんの突然の訃報に、悲しみの声が広がっています。

永源遙さんとは一体どのようなプロレスラーだったのか?

死因は?

いつ引退したのか?

暴力団とも関係していた?

などと言う事をまとめてみました!

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永源遙の経歴とプロフィール

本名:永源遙(えいげんはるか)
ニックネーム:千両役者
身長:178cm
生年月日:1946年1月11日
出身地:石川県鹿島郡鹿西町

永源遙さんはプロレスラーとなる前は大相撲の力士でした。

大相撲の立浪部屋へと入門した永源遙さんは15歳の時に「永源」の四股名で初土俵を踏みました。

1961年7月場所での事でした。

序二段での優勝なども経験しますが、力士として芽が出る事は無く、1965年に大相撲を廃業します。

その翌年となる1966年に力士からプロレスラーに転身

「永源 勝」のリングネームでデビューを果たします。

東京プロレス、日本プロレス、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアなど数多くのプロレス団体を渡り歩いた永源遙さんは、その経験からプロモーター・関係者への顔の広さや営業能力に長けていました。

その能力はジャイアント馬場アントニオ猪木も認めていた程だと言われています。

渕正信、大熊元司らと組んでいたチーム「悪役商会」は、ジャイアント馬場率いる「ファミリー軍団」と前座試合を行っていました。

この試合はファンの間では「ファミ悪決戦」という通称で呼ばれ、お約束の流れを多く取り入れた、名物試合とされていました。

対戦相手に喉を殴打させる事で起こる永源遙さんの「唾飛ばし」はお約束の動きで、その唾を浴びないように傘や新聞紙を持参する観客も多くいました。

永源遙さんは1966年にリングデビューしてから2006年に引退するまでの約40年もの間、プロレスラーとしてリングに立ち続けました。

永源遙と暴力団の関係

現役引退後はプロレスリング・ノアの常務取締役を経て、相談役へと就任した永源遙さんでしたが、2003年から2010年の間、暴力団関係者との交際が発覚し、2012年3月9日の取締役会をもって辞職し、一般社員への降格となりました。

交際に関しては暴力団排除条例が施行される以前の話で、金銭のやり取りの証拠や事実がなかった為に、違法なものではありませんでしたが、社会的影響などを考慮しての決定だったとの事です。

永源遙の死因は?

2016年11月29日現在、永源遙さんの死因について詳しい事はまだ報道されていません

関係者の話では11月28日の午後8時頃に自宅の風呂場で倒れたとの事です。

前述のように暴力団との関係が囁かれる永源遙さんですので、事件の可能性も考えられましたが、報道から読み取るには事件性はあまり無さそうで、高齢によるものである可能性が高いように思えます。

まとめ

40年近くプロレスラーとして活躍し、引退後も裏方としてプロレスの発展に尽力してきた永源遙さん

永源遙さんのご冥福を心よりお祈り致します。

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